遙か昔、およそ1600年前に中国より海を渡って
河童の一族を引き連れ九州にたどり着き
以後、熊本を中心とした西日本を住処としていました。
「九千坊」とは9000匹の河童の頭領である
ということによりつけられた名前です。

時は流れて、三百三十年前、肥後の国の城主が加藤清正の時代。
加藤清正の寵愛した美しい小姓がいました。
その小姓に懸想した九千坊は、なんと川へ引きずり込んで
尻小玉を抜いて殺してしまいます。
加藤清正は激怒します。
九千坊一族を皆殺しにせんと
法力のあるお坊さんに結界を張らせ逃げられないようにして
河に毒を流し、焼けた石を放り込み
九州全土の猿族を総動員して河童を襲わせました。
(河童は猿が苦手とされていたため)
ご苦労なことです(笑)

「九千坊」は、これはかなわんと
関雪和尚に頼んで加藤清正に命乞いをしてもらい
命ばかりは許され球磨川を追放されたのでした。
その後、「九千坊」と河童の一族は
水清く餌豊富な筑後川に移り住むこととなったのでした。
おしまい。

一説には、この物語は当時の海賊のことを示しているのでは
ないかと言われています。
朝鮮出兵など血なまぐさい時代には海賊を兵力として
味方としていた加藤清正が、平和な時代が訪れると邪魔となり
追い出したと言うものです。

九千坊河童は現在
久留米の「田主丸」で奉られています。
年に二回、奉納されている九千坊の像の御開帳があるのですが
自分が取材に行ったときは
残念ながら見ることは出来ませんでした。
しかし、写真があったので、それをモデルとして
今回のイラストを描きました。

九千坊の像なのですが西遊記の沙悟浄と並んで奉られており
なんと地元では「九千坊」は「沙悟浄」の兄貴分とされており
地元の「九千坊」びいきが少し可笑しかったです。

九千坊河童